その2 2008/3/3(月) 午前 0:05

 高知の白バイ事故の民事訴訟が提起されたのは07年4月。
地裁判決の約2ヶ月前。

 同年5月には仁淀川町は、片岡さんと仁淀川町は弁護士を選任し、高知地裁に答弁書を提出。

 仁淀川町の答弁書の内容は
「事故の事実関係は争わない。損害賠償額を争う」

 4月に民事で訴えられたのは片岡さんから連絡は入っていた。
この頃は私の意識は「刑事」に集中していたので、その後の2人の被告の対応は「外」にあった。

まさか町がこの様な答弁書を出しているとは・・・・
私が答弁書の内容がはっきりと確認できたのは同年11月。高裁判決後。
6月の高知新聞記事で「おかしい」とは思っていたが、これはショックだった。

 当初より民事裁判に関しては、任意保険の契約者でスクールバスの所有者の町が主に対応することになっていた。弁護士費用も町の負担であり、片岡さんも町に全面的な信頼を持っていた。なお、弁護士は梶原先生ではなく、町が新たに選任した人物。

 私も、地裁判決が出るまでの公判中の町議会の様子などから町を信用していた。(議会での様子は別の場にて書きます)

(これが間違いの元でしたね。)

6月 6日 第1回公判
6月15日 高知新聞が民事提訴を報道
7月 4日 第2回公判
9月 5日 第3回公判

 民事公判が回を重ねていく中、私や片岡さんは高裁へ向けて、事故の鑑定を石川先生に依頼したり、走行検証をしたり、KSBと接触したりと忙しい毎日を過ごしていた。
 
 この間に『支援する会』が発足し、裁判費用のカンパが始まった。

 民事の公判には、誰一人傍聴に行っていない。私も片岡さんも。

 『書類のやり取りだけだから・・・・(来ても意味は無いよ)』
 
 と言う町の連絡を信じていた。

 『何故 傍聴に行かなかったのか?!」
 
 後悔しかない。
 公判が3回もあって、そんなことがあるはずはない。
 今、記事を書きながら振り返ると自分の愚かさが良くわかる

 第3回公判前後では流石に、町の対応がおかしいと思って、民事の対応の確認を片岡さんに促してはいるが・・・

 実を言うと6月の判決以来。私と町の関係は最悪なものとなっている。
 
 何故か?

 きっかけは6月の高知新聞報道に対する私の記事だろうと考えている。
 私への直接的な圧力は無かったが、「町」の中で私のブログが『誹謗中傷記事』であるとされ、片岡さんや支援者の皆さんにはかなりのご迷惑をかけた。

 
 とにかくは
 
 民事で訴えられてから、この事故に対する町の対応ががらりと変わった。

 町も民事で被告とされ、他人事ではなくなったのか?
 
 でも、今も他人事じゃないのか?

 事実関係は認めて、つまり あのスリップ痕を認めて、片岡さんの過失を認めて 『損害賠償額を争う』?

 その賠償金は保険でまかなうんでしょう?
 損害賠償額を争いたいのは保険会社じゃないのか?

 民保が「出し渋り」で叩かれる中、外郭団体の保険組合はその難を逃れているが、今回の事故の対応を間違うと大変なことになるんじゃないですか?

 事故の事実関係を争わない保険会社があるとは知らなかった。

 とはいえ 流石に1億5千万円は出せないでしょう。

 だから、町が『損害賠償額』を争っているのだろう。

 片岡さんそっちのけでね。

 いらぬ疑いをもたれぬためにも、仁淀川町は事実関係を争うべきだ。

 次回 保険会社の不思議です
 

1 kun*hik*18*2 2008/3/6(木) 午前 0:39
神奈川県厚木市の宮崎です。
私の娘も、2004年10月25日に白バイと車の事故で、今、裁判中です。
私も、検事は本当のことを調べてくれるのではないかと信じていましたが、今は、警察とおなじで、最初に警察の調べ方が、何が何でも警官は被害者で一般市民を加害者に仕立てるという間違ったやり方に何の疑問も持たない事なかれ主義の人間だと思い知らされています。
後は、裁判官が公平な人であることを祈っているだけです。

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