拝啓 片多 康裁判官様 2008/8/31(日) 午前 1:51

 拝啓、片多様

 今日、片岡を交えて支援者達とこれまでの一連の流れと、9月2日に予定されているバス走行実験の話や片岡が収監された後の活動について、話し合っていました。

 その中で、片多様の話題があがりました。その内容の一部をご紹介致します。

 「生徒証言人を地裁で立てていたらこんなことにはならなかったが・・・」

 そういう意見をきっかけにあなたの話題に移った。

 生徒証言に関しては、「検察調書」に「動いていた」という書き換えられた証言もあったわけで、証人喚問の峻烈さをしった私は地裁における証人喚問に高校生を出廷させることは私としては「反対」の立場でした。

 もちろん、大人3名の証言で充分だという『甘さ』もありました。

 片岡を含め、地裁公判を傍聴した4、5人ほどがあなたに対する思いを話したわけですが、

 誰かが「結局は 警察や地検に逆らえなかったんでしょうね」と言った時に
 ある記憶が蘇りました。

 確か、第2回公判のときでしたか、あなたは弁護士・検察官双方に対して

 「高校生の証人は立てないのですか」と問いかけていました。

 「何を言ってんだ。地検の書き換えた調書でけりをつける気か。」

 と私は感じてたのですが、この頃は私もブログ等を書き始めてはなく、裁判官よりも検察側証人の矛盾に関心が行っていました。

 しかし、4回目の公判 校長と引率の教員の証言を聞き入るあなたの姿勢に好感を持ったのです。引率教員に対する検察側の執拗な反対尋問に幕を引いたのは

「あなたは急ブレーキを感じなかったのですね。」

 と言う裁判官片多康、あなたの言葉を今晩思い出しました。

 残念ながら、法廷外で「介入」が始まったのか、それ以後のあなたはそういう表情をみせてくれることはありませんでした。

 そして、判決の日。判決を眼前の片岡晴彦に言い渡すあなたの態度は裁判官といえるもではなく。怒りと失望に満ちました。
 
 量刑を言い渡したあと『執行猶予』の一言を待っていましたがそれもなく。
私の隣で警察関係者が手を叩いて喜んだのも気がつかなかったくらい呆然としていたのです。

 
 「ああ言うしかなかったんだろうな。」
 「そうかもねぇ・・・」

 今までならそのあとに「しかし。許さん」と言う言葉が続いたんですが、今日は違っていたのです。

 奥さん「けんど 最後の控訴の説明のときの表情は違っていたねぇ」
 片岡「それまでは、ワシと目すら合わせなかったが、その時はきちんと正視して語るように話してくれた・・」

 その辺りは私にもあなたの表情は鮮明な記憶があります。今になって真剣な表情だったなと感じることができます。

 その時の言葉ははっきりとした記憶がないのですが「高裁がありますから。控訴できますよ」といった内容で、私は判決言い渡しの締めをする定型文くらいにしか思っていなかった。


 「結局は 警察や地検に逆らえなかったんでしょうね」

 最初にこの一言を片岡や私に投げかけた方は、支援する会のメンバーではありません。客観的に片岡や私達支援者。そしてこの裁判の一連の流れを見ることのできる方の言葉です。

 「私の力ではどうにもなりません。高裁でもう一度審理できるから・・・」

 その気持ちが入った最後の言葉ではなかっただろうか、とその方は私達に伝えたのです。

 その話を片岡夫婦から聞いた時、私は気持ちが随分と楽になりました。
 怒りや恨みを持ち続けることはに疲れ始めていたのかもしれません。

 私は裁判官としてのあなたを今だ許す気にはなれないのですが、そして今までの非礼を謝罪するつもりもありません。

 ただ そう思えるようになって、今日だけのことかも知れませんが・・・・何か一つ、ほんの少しだけですが心が軽くなった気がしています。

 そして、あなたが判決を言い渡した片岡晴彦もあなた個人に関しては同じ思いでしょう。

 このことを伝えたくて一筆とった次第です。
                            草々

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